2015年4月30日木曜日

誕生日通知

 facebookには「今日は○○さんのお誕生日です」と通知してくる機能があるが、あのシステムを作ったやつは誕生日を祝ってもらう喜びをまったくもってわかっちゃいない。
 誕生日おめでとうと云われることがうれしいんじゃない。
 ぼくみたいな人間の誕生日を覚えてくれていたことがうれしいんだ。
 カレンダーを見て、ほんの一瞬でもぼくのことを思い出してくれたことがうれしいんだ。

 facebookの全自動誕生日通知システムは、その喜びをぶちこわしにしてしまった。
 誕生日おめでとうメールをもらっても「あーfacebookに云われたから義務的にやってくれてるのね」としか思えなくなってしまった。


 こういう“便利な”機能が追加されていくと、近いうちに

「昨日Aさんが髪を切りました。今日会ったら『髪切った?』と云ってあげましょう」

「Bさんはダイエットに成功しました。『やせたんじゃない? きれいになったね』と云うべきです」

なんて指令がfacebookから届くようになる。
 なんて“便利な”世の中なんだろう。だって誰もぼくのことをいちいち覚えていなくていいんだもの!
 ぼくがどこに住んでいるのか、どんなものが好きなのか、どんな顔をしているか、最後に会ったのはいつだったか。いちいち覚える必要はない。必要に応じて検索して情報を取り出せばいいんだから。

「あぁ、寒いほど独りぼっちだ!」


 そんなふうに世をはかなんで震えていたときに、久しぶりに会った旧友がぼくに云う。

「あれおまえ、髪の毛うすくなったんじゃない?」

 ああ。
 なんてことだ。
 ぼくに関心を持ってくれている人がまだいたなんて。

  ちがうんだ。
  謝らないでくれ。
  ぼくが泣いているのは傷ついたからじゃない。
  うれしくて泣いてるんだ!


2015年4月29日水曜日

どこものこども

携帯ショップへ行く。
ショップのお姉さんが機種の説明をしてくれたのだが、彼女は携帯電話のことを「子」と呼ぶ。

「この子たちが通信速度が速い子たちです。
 防水にこだわらないのであればこっちの子のほうがおすすめですねー」
みたいな感じで。

携帯ショップで働いているから携帯を我が子のように愛しているのだろうか。
おもしろかったので、心中ではばかにしながら、話をあわせてみた。

「じゃあこっちの子は新しい子たちですか?」
「そうなんですよ! 今年の冬に出た子たちです!」

「子」と呼んであげたのがよほど嬉しかったらしい。テンションが上がった。


でも結局機種変更はせずに帰る。
「子」と呼んでいたら、今使っている子を手放したくなくなってきたからだ。

2015年4月28日火曜日

父が死ぬ日

5月の第2日曜日が母の日で、ゴールデンウィークに里帰りしたついでに、ちょっと早いけどと云って母親にプレゼント。

で、1ヶ月後の父の日。

まあ、たいがい忘れてるよね。
1ヶ月前に帰省したとこだから実家には帰らない。
母の日のときはデパートでもカーネーションの写真と一緒に母の日フェアなんつってやってるのに、父の日フェアは紳士服売場あたりでひっそりとやってるだけ。
忘れてるか、「思いだしたけどもうめんどくさいし忘れてたことにしとこう」のどっちか。
ぼくだけじゃなく、みんなも似たり寄ったりなのではないでしょうか。

ところで、敬老の日には老人の自殺が増えると聞いた。
テレビなんかで敬老の日特集をするので、子どもや孫に会えない年寄りはさらに孤独を感じて自殺しちゃうらしい。
なんて残酷な。

このままでは、父の日も敬老の日と同じように、父が死ぬ日になってしまう。

そこで提案なんだけど、母の日と父の日って、一緒の日にしちゃえばいいんじゃないでしょうか。
『親の日』としてくくっちゃって。
同じ日にしたって誰も困らない。父親も忘れられなくなるし、子どももプレゼントをいっぺんに贈れて助かる。『両親にディナーをプレゼント』なんて贈り物もできるようになるし。
おお、名案だあ。

でももし。
でももし。
これでも、父親だけプレゼントがもらえなかったとしたら。
そのときはもう笑って睡眠薬飲むしかないよね。

2015年4月27日月曜日

命名にまつわるふしぎな話


ちょっとふしぎな話。

姉がふたりめの子どもを妊娠したときのこと。
3歳の長女がはりきって「あたしが赤ちゃんの名前をつける!」と言いだした。
どうせ3歳児のつける名前だから『めろん』とか『ぷりん』程度だろう、と高をくくっていた姉夫婦だったが、長女が言ったのは「ふうかちゃんにする!」。

「あれ……。意外といい名前だね……。古くさくないし、かといって斬新すぎるわけでもないし、音もきれいだし……」となった。

ふしぎだったのは『ふうか』という名前がどこから来たのかわからないこと。
長女が通う保育園に『ふうか』という名前の子はおらず、知り合いにもいない。芸能人やアニメのキャラクターや絵本の登場人物でも聞いたことがない。
なぜ3歳の子が『ふうか』という的確な名前を思いついたのか、まったく謎なのだ。

信仰心のない姉夫婦でも、さすがにこれはなにかのお告げなのかもしれないと思い、名前は『ふうか』にしようということになった。
『風香』にしようか『楓華』にしようか、と具体的に話が進んだところで、おなかの赤ちゃんが男の子だと判明。
結局『ふうか』はお蔵入りとなった。

神秘的なようで、なかなか現実は神秘的に事が進まないものだ。

2015年4月26日日曜日

おお宇宙はロマン

 地球上にいる菌の数は、人間の何兆倍にもなるという。

 ってことはよ。
「○○星に生命の可能性!」とか「宇宙にはロマンがある」とかいってる人がいるけど、人間が他の星の生物に出会ったとしても、99.99%以上、その生物は菌なわけ。
 さらにはその未知の菌が人間にとって有害である可能性も、ファーストコンタクトの相手が知的生命体である可能性よりずっと高い。そいつによって人間がばたばたと死んでいく可能性も。

 きっと人類は宇宙開発によって滅亡する。

 この予言を、人類の次に地球上に繁栄する種族のために書き残そう。
 おお。
 宇宙にはロマンがある。

2015年4月25日土曜日

バカであれ若者

今どきの若い子はものを知らなくて礼儀知らずで浅薄で目上への敬意に欠ける。

でも若い子らが自分より博学で紳士的で思慮深くて人間的にできた子ばかりだったら生きていけないから、若者にはぜひバカでいてほしい、というのが若くない人の総意だと思う。

2015年4月24日金曜日

不適切な削除

「この動画は不適切な内容を含むため削除されました」
って出てきたんだけど、
おれは不適切な動画が見たいんだよ!!

2015年4月23日木曜日

輪ゴムを使った生活の知恵

  小学生のとき、入っちゃいけない池で落としあいをして遊んだせいで、友人4人と一緒に先生からこっぴどく叱られた。

  立って説教を食らっているあいだ手持ちぶさただったので、持っていた輪ゴムを小指に巻きつけて遊んでいた。
  ぐるぐるぐるぐるぐるぐると、十重二十重に輪ゴムを巻きつけていると、ゴムが指の肉に食いこんではずれなくなった。
  あっやばいと思って輪ゴムをひっぱった。が、圧迫された分、指の先がふくらんでるからぜんぜんとれない。
  一応お説教を聴いているふりをして先生の顔を見ながら、指先は必死に輪ゴムと格闘。
  やっているうちにどんどん指先の感覚がなくなっていって、これまずいどうしようと思っていたら、隣で一緒に怒られていた子がぼくの様子がおかしいことに気づいて声を上げた。

「うわっ、おまえの指、めちゃくちゃ紫色になってるじゃねえか!」

  うわうわやべえよ、これ指腐って落ちちゃうよ、とみんな(先生含む)があわてふためいて、結局、先生が力を入れて引っ張り、やっと輪ゴムはとれた。ぼくの指は奇跡的に落ちなかった。

  ああよかったね、あぶないところだったよ、とその場の全員がほっと一息。
  あれほど怒っていた先生も、すっかり安心ムードに呑まれてしまい、
「まあ、じゃあ、とにかく気をつけるのよ」
と、なんとなくあやふやな雰囲気で説教は終了し、これといったお咎めはなしだった。


……という経験があるので、もしぼくが被告人席に立つことになったときは、こっそりポッケに輪ゴムをしのばせておいて検事の追及の手を緩める作戦を実行しようと思っています。

2015年4月22日水曜日

龍馬ぎらい

 ぼくは歴史に弱いから坂本龍馬が何をした人なのか、いまいちよくわかっていません。
 わかっていないのに、坂本龍馬が嫌いです。

 なぜなら、龍馬に自分を重ねているやつが一人残らずアレな人だから、きっと龍馬もクソみたいなやつだったんだろうな、って思うからです。

 同じことがスティーブ・ジョブズにも言えますね。

2015年4月21日火曜日

ポテトチップス20%多い説

  以前、
[小籠包は常に、口に入れる前に想定している熱さの2倍熱い]
という『小籠包2倍熱い説』を提唱した。
(説はこちら)

 私はここに、食べ物に関する新たな仮説を提唱したい。

 それは『ポテトチップス20%多い説』である。

 ポテトチップスを食べると途中で飽きてくる。
 油と塩が多いので嫌になってくるのだ。
 そこで食べるのをやめて、袋の口を輪ゴムでしばって、湿気ないように冷蔵庫に入れて……ということができれば何の問題もない。

 だが、ポテトチップスはいつでも20%多い。
 古今東西老若男女問わず20%多い。
 だから「もう飽きてきたな」と思ったときには、ポテトチップスは残りわずかになっているわけだ。

「あーもう食べたくないな。でも残りちょっとだしな。
 半端に残してもしょうがないしな」
 この考えが失敗の原因である。

 これが50%だったら過ちは犯さない。
「半分でやめておいて、もう半分はまた今度食べよう」と思える。
 だけどあと20%、これが判断を狂わせる。これくらいなら今食べちゃおう、と無理して食べてしまう。
 そして食べすぎで気持ち悪くなる。

 毎回だ。
 どんな大きさのポテトチップスの袋でも、どんな腹具合のときでも、ポテトチップスは20%多い。
 そして毎回毎回、ポテトチップスを20%多く食べすぎたことを後悔する。一度として「ちょうどいい量だった!」と思ったことがない。

 ポテトチップスが悪魔の食品と呼ばれるゆえんである。

2015年4月20日月曜日

小籠包2倍熱い説

小籠包(ショウロンポー)を食べるたびに思うのだが、小籠包の熱さは常軌を逸している。

小籠包を口に運ぶ前に
「熱いから気を付けなくちゃ」
と思うのだが、それでも毎回「はふっ(熱っ)」となる。
ほとんど地獄の熱さだ。

小籠包をはじめて食べる人は、百人が百人とも肉汁で舌を火傷する。
「こちらたいへんお熱いのでお気をつけください」
と言われても絶対に「はふっ」となる。

熱いから気をつけろと言われると、我々はアツアツの餃子ぐらいの熱さを想定する。
でも小籠包の熱さはそんなもんじゃない。
なにしろやつらは地獄出身だ(食べ物をできたてのうちに食べないと死後に小籠包を口に詰め込まれる『肉汁地獄』に落とされる。小籠包はそこの出身だ)。
「これぐらい熱いだろうな」と思っている、その2倍小籠包は熱い。

私はここに「小籠包2倍熱い説」を唱えたい。

はじめて小籠包を食べる人が「お熱いのでお気をつけください」と言われて想定する、その2倍熱い。
二度目に食べる人は小籠包の熱さを知っているから警戒するが、それでもその想定の2倍熱い。
何度食べても、小籠包はこちらがイメージしている熱さを2倍上回る。
これが「小籠包2倍熱い説」である。

だから小籠包を提供するお店はこう言わなくてはならない。
「こちら、お客様が思っている2倍熱いのでお気をつけください」と。

そう言われて2倍の熱さを覚悟した場合、もちろん小籠包は4倍熱い。

2015年4月19日日曜日

生きているんですよ

1歳の娘をだっこして電車に乗っていたときのこと。
娘が泣きだした。
声をかけたり、揺らしたり、ヘンな顔をしたりするのだが、いっこうに泣きやまない。泣き声は大きくなるばかり。
周りも迷惑だろうと思うが、どうすることもできない。
肩身の狭い思いをしていると、隣のおっちゃんに声をかけられた。

それが「うるさいから静かにさせろよ」とかだったら、こっちとしても謝るなり、「しょうがないじゃないか」と反論するなり、対処のしようがある。
ところがおっちゃんはこう言ったのだ。

「赤ちゃん泣いてますよ」


いやわかってるし!
この車両の乗客全員がわかってるし、なによりだっこしているぼくがいちばんわかってるわ!

予想外の一言に返す言葉もなく呆然としていたら、伝わっていないと思われたのか、もう一度言われた。

「赤ちゃん泣いてますよ」


 結局、あぁ、はぁ、みたいなあいまいな返事しかできなかったのだが、なんと返すのが正解だったのか今もってわからない。

「ぼくもあなたも生きているんですよ」
とかわかりきった言葉を返すべきだったのだろうか。

2015年4月18日土曜日

布団屋というビジネス

 近くのさびれた商店街に布団屋があるんだけど、ほんとにいつもひまそうだ。

 数多ある職業の中でもっともひまなんじゃないかと思う。
 同じ商店街には、オバハン養成所としか思えない洋品店とか、形や色がちょっときれいなだけの石を売っている石ころ屋とか、サッカーのユニフォーム専門店とか、流行ってない店がいっぱいあるんだけど、それでもたまに客の姿は確認される(売れてるかは不明だが)。
 しかし、布団屋には冷やかし客も来ないだろう。

「ひまだし買うつもりないけどちょっと布団でも見ていくか」

「よっ大将、新しい布団入った?」

みたいな軽い気持ちで人は布団屋に入らない。
 今日布団を買うと決意したとき、それ以外に布団屋に足を踏み入れることは決してない。
 めったに客は来ない(1日に1人来たら多いほうだと思う)が、来た客は必ず買っていく。それが布団屋なのだ。布団屋のことはなにも知らないが断言しよう。


 それにしても布団っていったいいつ売れるのだろう。
 布団屋の繁忙期について考えてみよう。

 まず3月4月はよく売れそうだ。
 新生活スタートにあたって布団を買う人は多いだろう。

 5月6月は、そろそろ暑くて寝苦しくなってくるから薄手の布団に変える人も多いんじゃなかろうか。

 梅雨時は布団が湿気で傷みやすいから、梅雨の明けた7月には敷き布団がよく売れそうだ。

 8月はお盆がある。息子夫婦や孫が里帰りしてくるから客布団を用意しとかなくちゃ、という老夫婦のニーズが多いにちがいない。

 9月10月11月は日に日に寒くなってゆくから、厚手の布団や毛布がよく売れる。

 12月にはこたつ布団が恋しくなるし、年末年始も忙しい。お盆と同様に里帰りがあるし、大掃除のついでに布団を買い換えたり、新しい布団で新しい1年をスタートさせる、なんて人もいるだろう。

 あれ……?
 3月から1月まで、ずっと布団屋は繁忙期だ。
 実は布団って、1年を通してよく売れる商材なのでは……?

 しかし問題は2月だ。
 もう寒さのピークは越えつつあるから今さら布団を買いたすことはないし、春用の布団にするにはまだ寒い。
 2月は布団屋にとって唯一の閑散期だ。
 なにか布団を売るためのイベントをぼくが企画しなければ!

 ……そうだ!
 2月10日を『ふ(2)とん(10)の日』として、布団を買い換える日とアピールすれば万事解決じゃないか!
もしくは、バレンタインデーの前に好きな相手に布団を贈って「この布団で一夜を共にしましょう」と大胆に誘う日にしたっていい。
なんたる名案!

 と思って調べてみたところ、実際に2月10日が『ふとんの日』だったのだが、日本寝具寝装品協会がなぜか2010年より10月10日に変更しているのだ。
(参考リンク   http://www.jba210.jp/210.html )

 なにをやっとるか日本寝具寝装品協会!
 なんたる機会損失!
 即座に2月10日に戻すべきだ。
 ぼくは日本寝具寝装品協会に対し、強く抗議する!
 完全なる部外者として、強く抗議する!
 2月でも10月でもどっちみち布団を買い換えないけど、強く抗議する!

2015年4月17日金曜日

草をとって喰らう鬼

  角が生えている動物は草食動物だけなんだとか(一部の恐竜をのぞく)。
  角は防御用のもので、攻撃には向かないからだそうだ。

  ふーん。なるほど。
  たしかにシカもキリンもサイも草食だ。カタツムリも。

  ということは鬼は草食動物か……。
  たしかに『桃太郎』にしても『一寸法師』にしても『こぶとりじいさん』にしても、鬼の方から積極的に攻撃を仕掛けたりはしてないな。
  攻撃してきた人間から身を守るために戦っているだけで。

  金銀財宝を奪ったっていうのも、すみかを追われたイノシシやサルがたまに野に下りてきて畑を荒らす程度のもんなんだろうな……。

2015年4月16日木曜日

たいやきの発祥

 たいやきを最初につくった人、すげえな。

 ふざけた形の食べ物はたくさんある。
 タコさんウインナーとか、メロンパンとか、金太郎飴とか、遊び心が入った食べ物。
「こんな形にしたらおもしろいんじゃね?」と誰かが思いついて、実際に作ってみて、好評を博したので定着しました、というパターン。

 でもたいやきの場合は「思いついた」から「ちょっと作ってみました」までの敷居が圧倒的に高い。

 だって鋳型を作らなくちゃいけないんだから。


 はじめて作った人、行動力がありすぎる。
「今川焼を魚の形にしたらウケるんじゃないか?」と思いついて(この時点でけっこう頭いかれてる)、
まずは砂かなんかを固めて「型の型」を作って、
そこに溶かした鉄を流し込んでから冷やして固めて「型」を作って、
そこに小麦粉を水で溶いたものを流し込んで焼いてみたわけでしょ?

 かんっっっぜんに「ちょっと作ってみました」のレベルを超えている。

 ふつうは、もし思いついたとしても「鉄溶かさなきゃいけないんだったらやめとこう」ってなる。
 こういうことを実際にやろうとするのは、面倒なことは誰かに押しつけるつもりの人だけだ。

 だってそうでしょう。
 東京オリンピック開催決定!つって鼻水たらして喜んでた招致委員会のメンバーも、各方面の顔を立てなきゃいけないスケジューリングとか、くそ暑いさなかに強硬日程でおこなわれるスタジアムの建設とか、トラブル処理やらゴミ拾いやら、そういった億千万のしちめんどくさいことは全部自分の仕事じゃないと思っていたから、無邪気に喜べたわけでしょう。
  じゃなかったら「オリンピックやりましょう! ただし100年後に!」ってなるに決まってる。

 だいたい、たいやきを焼くために鉄を溶かそうったって、そうかんたんにできやしない。
 お金もかかるし、鉄を溶かすためにはたいへんな火力がいる。

 いっちょ魚の形の今川焼作ってみるか、なんて思いつきを行動にうつせるのは、お金を持っていて、火力を維持するための十分な燃料があって、人を好きなだけ使える人だけだ。

 ということは。
 論理的に考えて、たいやきを最初に作ったのはアラブの石油王だということになるな……。
 

2015年4月15日水曜日

人間の特権

「『ありがとう』と感謝の言葉を伝えられるのは、他の動物にはできない、人間だけの特権なんです。だからもっともっと身近な人にありがとうと伝えましょう」

という言葉を聞いた。

  なぜ「ありがとう」だけなのだろう。
 考えるに、きっとこの言葉を思い付いた人は、犬や虫や魚が、誰かを口汚く罵ったり、陰で蔑んだり、嘘をついて貶めたりするのは聞いたことがあるのだろう。
 だから悪口は人間の特権ではない、「感謝の言葉は人間の特権」と言えるのだ。


 でも動物が話すのを耳にしたときは、お説教を垂れるより先に、すみやかに学会に報告するべきだと思う。

  なぜなら、学会に発表する行為は、他の動物にはできない、人間だけの特権なのだから。

2015年4月14日火曜日

れんこんの穴は必ず10個

  枝豆入りれんこん。

  れんこんの穴にからしを詰めたり、チーズを詰めて揚げたり、枝豆を詰めたりと、人間の欲望はとどまることを知らない。

  人はどうして互いに傷つけあい、そしてれんこんの穴に何かを詰めずには生きられないのだろうか?

2015年4月13日月曜日

アキモトヤスシの憂鬱

 運転免許の更新会場にて。

 講習後、ひとりずつ名前を呼ばれて免許証を取りにいくのだが、「○○さーん」と某有名野球選手の名前。
 がっしりした体格の○○選手は恥ずかしそうに免許証をもらいにいき、周りは「おー、本物の○○だ」と、しばらくざわついていた。

 その3人くらい後に「秋元康さーん」。
 おー、○○選手の次は秋元康か、とさらにざわつく講習会場。
 が、席を立ったのは似ても似つかぬ別人。ただの同姓同名だったのだ。
 くだんのアキモトヤスシ氏は、これ以上ないってぐらいに不機嫌そうな顔をしていた。


 ま、そうなるよね。

2015年4月12日日曜日

メンマ・イズ・ヴェリー・シナチク

  メンマのことをシナチクと呼ぶのは外交上よくないのかもしれないけど、でもやっぱりあれは「シナチク」のほうがふさわしい。

  だって口に入れたらシナっとして、チクっていう歯ざわりなんだもん。

「メンマ」っていうと、小麦粉をずっしりと固めて煮た食べ物って語感。
  ペンネやニョッキのぶっといのが「メンマ」、って感じだよね。

2015年4月11日土曜日

読書感想文『マネー・ボール』


『マネー・ボール(マイケル・ルイス著)』読了。
すばらしい本だった。
野球に興味ある人も、興味のない人にも読んでほしい。

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◆ 野手の良し悪しを検討するのに「打率」「打点」「失策」はまったく必要ない。「出塁率」と「長打率」だけでいい。
◆「犠打」「盗塁」は攻撃機会を減らすだけの愚策。
◆ 被安打は投手の責任ではない。
(あくまでチームの勝利を目標とした場合の話)

野球をよく知る人ほど受け入れがたい理論がたくさん。
(ちなみにこの理論でいえば、打率のわりに出塁率や長打率の高くないイチローは「金がかかるわりに勝利に貢献しない給料泥棒」ということになる。かつてのマリナーズの成績を見ればそれもうなずける)

数字がこれらの理論を見事に裏付けていて、この理論を導入したアスレチックスは金をかけずに驚異的な成績を残しつづけている。

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しかし本当におもしろいのは
【この理論の正しさがアスレチックスに実証されても、取り入れる球団が少ない】という点。
現実の数字よりも「強気の姿勢が勝利を呼び寄せる」みたいな精神論の方が幅を利かせているからだ。

なぜなら、球団経営にあたっている監督、コーチ、GM、スカウトらが従来の野球理論で輝かしい実績を残してきたから。


成功者が「自分がやってきたやり方」を最良の方法だと思ってしまうのは
プロ野球経営にかぎらず、ビジネスなどの他の世界にも共通することだろう。

ぼくがスポーツ選手や会社経営者の“成功体験本”が大嫌いなのは、
「私はこうやってうまくいった。だからこうしなさい」
というまったく科学的でない論理にうんざりするからだ。

「自分の(たまたまの)成功体験」にとらわれて
「同じやり方をして失敗したケース」や
「別のやり方でもっと大きな成功を収めたかもしれないケース」が見えなくなってしまうのは恐ろしいことだ。

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100の事例から1の真理を得るのが科学。
1の事例から100の真理を得た気になるのが成功体験本。
ぼくは科学を信じる。





 その他の読書感想文はこちら



2015年4月9日木曜日

犬にまで

  会社で歩いていたら、つまづいた。
  後ろから「ぷっ」と笑い声。
「なんで何もないところでつまづいてるんすかー!  ドジっ子すねー!」
  すぐ後ろを歩いていた後輩が、半笑いで云った。

  あれ。
  たしか君が入社したとき、いろいろ教えてあげたよね。
  君がミスしたときも一緒にフォローしてあげたよね。
  そんな先輩に対する返礼が半笑いってどういうことよ。

「ちょっとつまづいたぐらいでそんな小バカにするのは良くないな」

  「いやバカにはしてませんけどね。でもだって、今日だけじゃなくこないだもつまづいてましたよ」

「いちいち見るなよ。見たとしてもメモリに刻むな。忘却しろ」

  「無理っすよ。だってほんとに1ミリも段差ないところでつまづいてたんすもん。ミラクルですよ。あれでつまづいてたら階段のぼれなくないっすか?  おうちオールバリアフリーっすか?」

「やっぱりバカにしてるな」

  「してませんって。マジでマジで」

「ぼくがつまづいたのはアレだよ、犬」

  「犬?」

「そう。昔飼ってた犬の霊だよ。たぶん」

  「何わけわかんないこと言ってんすか」

「実家で昔飼ってた犬がね、もう死んじゃったんだけどね、そいつが霊になって出てきてぼくの脚にじゃれついてるんだよ。だからこけそうになったわけ。ぼくのこと好きだったからなー」

  「犬ってそんな脚の近くに寄ってきます?」

「まあうちの親が散歩させてたときはまっすぐ歩いてたけどね。でもなぜかぼくと散歩するときはちゃんと歩かずによく脚にじゃれついてたなー」

  「へー。犬にまでバカにされてたんすね」

「犬にまで、ってことはおまえもやっぱりバカにしてんじゃねーか!」

  「あっ……」
 

2015年4月8日水曜日

おすすめのバー

ファミレスにて。

本日のおすすめがドリンクバー。

もっと料理に自信もって!

2015年4月7日火曜日

梅ぼしと限界性自我意識

 ぼくは梅ぼしが嫌いなのだが、嫌いだというと

  「えーなんでー? 梅ぼしおいしいじゃーん」

「あの酸っぱいのが苦手で……」

  「えーその酸っぱいのがいいんじゃなーい!」

みたいなことを言ってくるおバカさんがいる。


  ぼくにしたらおいしくないから嫌いなのだし、誰がおいしいと感じたとしても、ぼくも同じように感じるとはかぎらない。

  ヤスパースはこの「梅ぼしおいしいじゃーん」状態を指して「限界性自我意識の障害」と称した。
  自我の限界性(外界や他人に対する自我の意識)に障害が生じているために、自己を外界と同一視しているわけだ。
  ちなみに「おれは神になった」という宗教的境地も限界性自我意識の障害に属するらしい。

結論:梅ぼしが好きなやつは自分を神だと思っている

2015年4月6日月曜日

スポーツマンシップにのっとらない

  スポーツの大会前の選手宣誓。
「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と全力でプレーすることを誓います」

  でも、考えてみてほしい。

「おれ禁煙する!」
って宣誓するやつ。
  ぜったい吸うよね。

「他人のお金を盗まないことにします!」
って宣誓するやつの職業は?
  ぜったい泥棒だよね。

「日本を取り戻す」
っていうやつ。
  まちがいなく日本の制度をぶっこわそうとしてるよね。

  宣誓なんてするやつは、必ず嘘をついている。

「スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と全力でプレーすることを誓います」
というのは
「スポーツマンシップを踏みにじり、卑劣な手を使ってでも、だらだらとプレーします。てゆうか途中でやめちゃうかも」
と言っているに等しい。


  ぼくはこういう欺瞞が許せない。
  だからぼくは決してこういった嘘をつかない。
  ここに誓おう。

2015年4月5日日曜日

2進数

最近知ったジョーク。
「世の中には10種類の人間がいる。
 2進数を理解できる人間と、理解できない人間だ」

 おもしろいんだけど、文字にしないとこのジョークを伝えられないのが残念。

2015年4月4日土曜日

サルでもわかるサル

世の中にあふれている『サルでもわかる○○』ていうタイトルの本。

あれ、すごくわかりやすい。
読むとじつによくわかる。
「ああ、おれはサル以下なんだな」ってことが。


2015年4月3日金曜日

北極星と切り株

ぼくは方向音痴。

隣町の銀行に出かけ、歩いて帰った。
電車でたった1駅の距離。
西に向かって歩きはじめた。

まっすぐ行くより裏通りを通った方が早そうだ。
ん?
いつまでたっても知っている道に出ない。
人がどんどん減っていく。
家もなくなった。
川が見えた。なぜ川?
川なんか近くにないはず。

これはちょっと方向がずれていたんだな。
少し引き返す。
引き返したはずなのに、はじめて見る道。
あれ?

何度も方向転換をしたせいで方角がさっぱりわからない。

北極星を探す。
ない。だってまだ午前11時。

切り株の年輪を見ればどっちが南かわかるはず。
ない。街中に切り株はない。

よくわからんけどたぶんこっちが家だろう。
ええいままよ。
おっ! 見覚えのある建物が。
おおー。

ん?
銀行だ。さっき行ったところ。

出発地点じゃないか。
しかも銀行から西に向かって歩き始めたはずなのに、銀行の東側に戻ってきた。

なにこれ。

同じ所をぐるぐる回っていたのか?
どこかで時空がねじれていたとしか考えられない。
よく元の世界に戻ってこられたものだ。

まあいいや。
出発地点に戻ってしまったけど、ここまで来れば家までの道はわかる。
まっすぐ行くより裏通りを通った方が早そうだ。
ん?
いつまでたっても知っている道に出ない。
人がどんどん減っていく。
家もなくなった。
川が見えた。なぜ川?
川なんか近くにないはず。

あれ?
同じ所をぐるぐる回っている?

空間だけでなく時間も……?

2015年4月2日木曜日

身支度

今日も電車が遅れるのは、
女性専用車両は出発前の身支度に時間がかかるから。


2015年4月1日水曜日

なにわの強肩

高校野球中継。
アナウンサーが「強肩の田村くん」というのを聞いて、
野球を知らない妻が「高校生なのにひどいニックネームつけられてるね」と言う。

そうか、野球を知らない人には「強肩」が「狂犬」に聞こえるのか。